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ビオブログ

富士市の重要文化財【古谿荘】その1

こんにちは。
インテリアコーディネーターのワカメこと酒井です。

本日から七十二候は、大寒の次候【水沢腹堅:さわみずこおりつめる】。
「水沢」が「小川」、
「腹」は動詞で「つつむ」、
「堅」は堅くなった氷で、
小川が堅くなった氷をつつむ=小川が厚く凍るということだそうです。
うーん、お寒うございます。


昨年12月のことになりますが、富士市唯一の国指定重要文化財建造物
『古谿荘』(1910年明治42年完工)
の庭園一般公開のお手伝いをしてきましたので、二回に分けてご紹介させて頂きます。

富士市主催のイベントで、古谿荘に親しむ会と、以前も書きましたが、私が個人的に所属する富士建築士会がサポートしており、私もボランティアとして今回が3回目の参加となりました。

古谿荘とは、以前、私のブログにも2度ほど登場した人物『田中光顕』この方のお屋敷で、富士市岩淵(旧国道一号線沿い、富士川橋を静岡方面に渡り、富士川ふれあいホールの目の前)の16,000坪の広大な敷地内に、建坪940坪にも及ぶ建築群が回廊で結ばれたお屋敷です。


(富士市市民部文化振興課発行 古谿荘パンフレットより)


明治中期から全国に皇室の御用邸、離宮や元勲たちの別荘が盛んに建てられます。

東海道筋には、鎌倉・大磯・小田原・箱根などに作られていきます。
県内では興津に、井上薫侯爵の『長者荘』や西園寺公望公爵の『座漁荘』が知られています。

この古谿荘もその一つで、皇室や当時の著名人を招待する目的があったようです。

今回もお話が長くなりますので、2回に分けてご案内します。
今回はまず、この建物の建築主、田中光顕伯爵の経歴をご紹介します。


(富士市市民部文化振興課発行 古谿荘パンフレットより)

歴史が好きな方なら、もしかしたらご存知かもしれませんが、私は数年前にこのイベントに参加するようになって初めて知りました。

1843年土佐藩(現高知県佐川町)に生まれ、同郷の武市半平田太の尊王攘夷運動に傾倒し師事後、土佐藩を脱藩します。

その後、高杉晋作の弟子となり長州藩を頼り、同郷の坂本龍馬とも親交が深く、薩長同盟の成立にも貢献します。

後に帰藩し、中岡慎太郎の陸援隊に幹部として参加するが、1867年近江屋事件で坂本龍馬・中岡慎太郎が暗殺され、陸援隊を統率するなど、倒幕に奔走します。

以前のブログ
【幕末の志士、田中光顕のマイホームが富士市にあります】
にも書きましたが、高杉晋作の散切頭の有名な写真で、手に持った刀は、田中伯が高杉に送った名刀です。


維新後は明治新政府で政界入り、岩倉使節団では理事官として欧州を歴訪。
初めて西洋の文化に触れたことは、その後の田中伯の人生に大きな影響を与えます。

帰国後は西南戦争の征討軍会計部長、
1879年には陸軍省少将、
その後伊藤博文内閣書記官長、
山縣有朋内閣の警視総監などの要職を歴任。

1898年56歳で官内大臣となり、明治天皇の信望も厚く、67歳まで11年間大臣を務めますが、1909年、収賄疑惑の非難を浴びて辞任・政界から引退しました。

その間、田中伯は、天皇家の避暑・避寒のため全国に御用邸や離宮を建設しています。
また、東宮造営、現在の国宝迎賓館赤坂離宮もこの時期に行われました。
1907年65歳で伯爵を授けられます。


(2017.2赤坂離宮一般公開見学時のもの)


古谿荘は明治39年1906年着工、4年後1910年完成しますが、田中伯がここに移り住むのは大正3年1914年のことでした。

ここに隠居後、地域住民と古谿荘で使用する飲料水の水利権問題が起こり、大正7年には、静岡市清水区蒲原に自邸をもう一つ造り『青山荘』に引っ越してしまい、実際田中伯が古谿荘に住んだのは3、4年程でした。

そして昭和14年1939年、青山荘で97歳という永き人生にピリオドを打ちました。


昨年の大河ドラマ『西郷どん』では明治維新の人生ドラマが、私にはとても興味深いドラマでした。田中光顕も同時期を生きた人物です。


(NHKhpより)

ドラマで描かれていた新政府は、廃藩置県により、民からは莫大な税金を課し、新政府の要人たちは贅沢をし、私腹を肥やしていた事に、西郷隆盛は異議を唱えますが、大久保利通とは袂を分かち、西南戦争へ発展してしまうという内容が、古谿荘で田中伯を知っていくと、本当にこの様な背景があったことを実感します。

これは、古谿荘を研究している方から聞いた話ですが、田中伯も新政府の要人の一人で、相当なお給料をもらっていたそう。

実際そうでなければ、古谿荘のような、豪華な建物がいくつも建てられるはずがないと・・・。

まあ、収賄疑惑もありましたしね。
良いか悪いかは別として、そんな要人が、こんな田舎の富士市に自邸を構えたという事実と、贅をつくした建物が今も残っていて、国からの重要文化財に指定されたという事実を、富士市民に知ってもらおうというイベントを数年前から開催しています。

次回は、立春の初候、2/4の「びお静岡東部版」にて、建物についてお話します。
お楽しみに!

 

文:酒井朋美

2019年01月25日

Post by 株式会社 macs

カテゴリー:ビオブログ, 地域のこと

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