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ビオブログ

山中城跡へ行ってきました

本日より、二十四節気は冬至
冬至は一年で一番昼が短い日ですね。

七十二候は、冬至の初候で、【乃東生(なつかれくさしょうず)】。

夏至の初候「乃東枯(なつかれくさかるる)」に対応する候で、ナツカレクサ(夏枯草)=靭草(うつぼくさ)が目を出し始めるころ、の意味とのことだそうです。

こんにちは。総務のゆきです。
お城博士ちゃんが「ワッフルみたい」と紹介していた、三島にある山中城跡に行ってきました。

 

静岡県民だけど、お城博士ちゃんの紹介を聞くまで知りませんでした。
実は日本100名城のひとつでもあります。

今から450年以上前の戦国時代に、北条氏によってつくられた山城です。
山の険しい地形を利用してつくられ、石垣積でなく、ほぼ土でできています。
土を掘ったり盛ったりしてつくられた、珍しい城です。

でも残念なことに、北条軍4千に対し、豊臣秀吉軍7万の大軍であったため、
わずか半日で落城し、その後400年近く埋もれていたそうです。

その後発掘調査をおこない、三島市が史跡公園として開放、
平成18年には日本100名城に選定されました。

山中城跡はなかなか広いです。
ぐるっと1周見学で1時間以上かかります。


兵士や馬の飲料水確保のために作られた池は、初夏は美しい花が咲き乱れるそうです。
山の斜面の堀は適の侵入除けのほかに、水を貯めてこの池に流し込むダムの役目もあったそうです。

 


堀ごしにうつる富士山がいいフォトスポットです。

 

 

西櫓まわりの小さな堀群です。
ワッフルみたいと言われていた場所です。

堀の中に土手状の壁が堀残してつくられています。
衝立障子を並べたようなつくりなので「障子堀」と呼ばれています。

今は保護のために芝が植えられていますが、当時はツルツル滑るローム層の土がむきだしで、今よりも深い穴であったため、一度落ちたら二度とあがれないアリ地獄だったそうです。
土手状の壁の上を歩けば簡単に攻略できそうですが…。

 

堀の中心には土塁で囲まれた平地、曲輪があります。

曲輪へいくには、橋を渡ります。
当時は木橋で、いざというときには橋を壊して敵の侵入を防ぎます。

曲輪のなかから堀の上を歩く敵軍を弓で射って応戦したのでしょうね。
でも7万も攻めてきたら流石に無理ですね…。

 

山中城跡公園の西側に、駒形諏訪神社があります。
そこに大きな木の根っこが残っていました。

看板を読むと、これはカシの木で、樹齢500~600年だそうです。
山中城建設の時も、合戦の時も、落城して城が埋もれていた400年間も、
この木はずっとここで生きていたんですね。
感慨深いものがあります。

根廻り9.6M、高さ25Mの、県内で1・2を争う大木だったそうですが、
平成30年9月の台風によって倒れてしまったそうです。
あと数年前に来ていれば、そびえたつカシの大木が見れたんですね。残念です。

史跡や天然記念物はいつまでもあるとは限らないのですね。
定年退職後に国内旅行とかいっていないで、気になるスポットにはすぐ行くべきですね。

 

文:佐藤 祐希

2021年12月22日

Post by 佐藤 祐希

カテゴリー:ビオブログ, 地域のこと

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