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ビオブログ

伊豆石の石切り場跡

本日から七十二候は、春分の次候で【桜始開:さくらはじめてひらく】。
マクスの駐車場のシダレ桜は満開です。



さて、今回のテーマは、先日完成した伊豆の国市の新築住宅からです。

こちらはお庭へとつながるアプローチ




こちらはウッドッキの前に置かれた踏み石




そして外部の流し場



と、このお宅のいたるところで使われている石、これが今回のメインテーマである「伊豆石」です。



この伊豆石は、現在の家が建つ前にあった既存のお宅を解体した際に基礎で使われていたものでした。





それを処分せずに取っておき、今回外構として再利用しました。
そんな伊豆石の切り出しを行っていた石切場がまだ残っていると聞いて、今回見学に行ってきました。


伊豆石の成り立ちを知る

さっそく石切場へGO!、といきたいところですが、その前に少しだけ伊豆石がどのようにして形成されていったのか、その成り立ちについて書いていきます。

伊豆半島は昔、現在の位置よりもはるか南の海にある、海底火山の集まりでした。
火山活動を繰り返しながら徐々に北上し、その後、本州に衝突して現在の伊豆半島の形になりました。
そのときの衝突によって、本来は海の底にあった太古の海底火山のなごり=伊豆石(凝灰岩)が隆起して地上へと現れました。


江戸城の石垣にも使われていた伊豆石

伊豆石は江戸時代~昭和初期にかけて伊豆の各地(特に西部や南部)で産出され、出荷されていました。
城を築城する際の石垣や、土蔵、倉庫、そして建物の基礎など広く利用され、重宝されたようです。

あの有名な江戸城の石垣にも、伊豆石が使われています。
選ばれた理由として、伊豆石(凝灰岩)はやわらかく加工がしやすく、さらに風化しにくく耐火性にも優れていたためです。

また陸地に比べて、海に面した伊豆の立地は船での運送に適していました。
江戸に運送しやすい立地であったという点も、伊豆石が選ばれた理由のひとつだと考えられます。


石切場跡「室岩洞」へ

石切場は伊豆のいろいろな場所にありますが、今回は伊豆の賀茂郡松崎町の室岩洞(むろいわどう)まではるばるやってきました。

はるばる…というのも、松崎町は伊豆半島の南西に位置しており、弊社の所在する富士市からは約二時間かかります。



室岩洞は知る人ぞ知る、隠れ観光スポットなので、小さな看板しか出ていません。
国道136号線を松崎から岩地方面へ向かう途中にありますが、注意して走っていないと通り過ぎてしまいますのでお気をつけください。

国道の左側に駐車場があり、その反対側に下へと続く階段があるので、そこを下っていきます。
この階段がけっこう急でして、行きはサクサクですが、帰りのことを考えてすでに憂鬱になる私です…。





ただ距離的にはそんなに大したことないので、5分もかからず到着。
そして、突如目の前に現れた岩壁。



想像以上に大迫力で思わず立ち止まって見上げてしまいました。

上の写真の右側、水平に等間隔で線模様が入っているのが分かりますか?
これが当時の石切の跡です。

この掘り方は平場掘りと呼ばれ、一層ずつ下へ下へと掘り進めていくやり方です。
江戸時代、当時はもちろん機械などなかったので、すべてノミを使って手掘りで行っていたというから驚きです。



さっそく洞窟内に潜入



中は一応灯りがついていますが、けっこう暗いです。
洞窟内はとても広く(2000㎡)、迷路のようになっています。
自然に出来たかたちではなく、人々が掘り進めて出来た結果生まれたかたち。
そのため、道はいろいろなところへ分岐され、複雑に入り組んでいます。

さらに無人なので、怖いのが苦手な方は複数人で行くことをおすすめします。
私は一人だったら絶対無理でしたね…(笑)。






そしてこの当時の石切職人を模した像…これが灯りに照らされてとっても不気味。
急に現れてびっくりしますのでご注意を。





天井はなかなか低く、場所によってはかがまなければ頭がぶつかってしまうようなところも。






さらに奥へと続いていくと、地下水が溜まってできた水たまりがあります。
水の透明度が高く、底の方まで見えます。
なんだか幻想的な空間で、古代遺跡を探検している気分になってきました。




出口を抜けるとまだ道が続く…



そして洞窟の出口(激セマ)を抜け、さらに奥へと進んでいきます。





雰囲気のある小道。
こういう道、抜けた先に何があるんだろう、とワクワクしませんか?
私はけっこう好きです(笑)。





道を抜けた先には、海が広がっていました。
素晴らしいロケーションです。

冒頭でも少しお話しましたが、この場所も重要なポイントです。
道路がまだなかった時代、洞窟内から運んできた石材はこの場所から海岸へと、斜面を利用して滑りおろし、船に載せて輸送していました。

切り出した石をそのまま船で運び出すことができる室岩洞は、非常に効率がよく、作業に適した場所だったのではないかと思います。

ちなみに、以前の「びお静岡東部版」で、インテリアコーディネーターの酒井が、伊豆で採れる伊豆石で出来た倉庫群が、何故か浜松に多い?という謎について書いておりますので、そちらも合わせてお読み下さい。
【 なぜか浜松にある伊豆石の倉庫群 その1 】
【 なぜか浜松にある伊豆石の倉庫群 その2 】


今回実際に石切場跡を訪れ、伊豆石の歴史や成り立ちに触れたことで、伊豆石の本当の価値を知ることが出来ました。
伊豆石に限らず、価値ある資材を後世に残していくためにも、そのものの価値を見極める目を養っていく必要があるなあと感じました。
そのためにはまず、日頃からいろいろなことに興味を持ってお勉強♪ですね。

また、静岡の面白い歴史スポットがあったらご紹介したいと思いますので、お楽しみに!


文:井出

2019年03月26日

Post by 井出

カテゴリー:ビオブログ, 地域のこと

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