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ビオブログ

なぜか浜松にある伊豆石の倉庫群 その2

本日より季節は【啓蟄:けいちつ】
生き物達が、目覚めて土から出てくる季節、の意味です。

七十二候は、啓蟄の初候【蟄虫啓戸:すごもりむしとをひらく】。
私の大嫌いな “G” は、出てこないでほしいです…。

というわけで、インテリアコーディネーターのワカメこと酒井です。

先日OB様にお会いし、前回のビオブログ、ブラタモリみたいで面白かったとちらっと聞いてしまったものですから、がぜん、やる気の出てしまいましたー!
勝手に『ブラワカメ』~なぜか浜松にある伊豆石の倉庫群 その2~なんつって。

前回は浜松に、伊豆石で出来た色んな蔵をご紹介しました。
そして、天竜材木が天竜川を下り、遠く江戸に輸送されていた事。

さらに、今回は伊豆石との関係を突き詰めていきたいと思います。

伊豆石が伊豆半島以外で多く見られるのは、清水の旧市街地、吉原、蒲原、静岡、島田、そして特に多いのが、天竜川下流域で、現在120以上の蔵が現存しています。

この分布は何を意味するのだろうか?

鉄道が整備される前、江戸時代~明治中期までの物流の主流は船でした。
日本全国から江戸や大阪に廻船(かいせん)と呼ばれる船があり、港から港へ人や物を運ぶ航路がありました。

伊豆の下田や松崎は、江戸への中継港で、廻船問屋が立ち並ぶ栄えた港です。
そして、その港への回漕を行っていた港の周辺に、伊豆石の蔵が存在している。

ということは…?
天竜川下流域における伊豆石の蔵は、江戸に向けて材木を送り、中継港の下田や松崎で、廻船に積み替え、空の船ではバランスが悪いので、その港周辺の特産物である伊豆石を、船の重り(バラスト)として持ち帰っていた!
ということになります。

上記地域には特産物があって、それを江戸に送る対価として伊豆石があるんですね!

すなわち、マクスでは無くてはならない天竜材木が、伊豆石の蔵を浜松にもたらしていた。
そして見方を変えると、江戸時代~明治時代の、江戸・東京のまちづくりに欠かせなかった天竜材は、今に至る近代都市建設の地盤を作ってきたとも言えますね。

どうですか?謎は解けましたね(^0^)/

ついでに言うと、蔵にも時代が反映されているんだとか。
現存する蔵を見ると、様式的、工法的に見ると幕末から明治の時代のものが多く、明治期のものは流行を反映して、アーチや窓回りの装飾など、洋風建築を意識したデザインも見られます。


ここでやっとブレイク、昼食!浜松といえばうなぎ! 140年の歴史を持つ「中川屋」さんへ。
今回伺った「まっし蔵」の真向かいに、風情のある旧館の前に新しい店舗があります。
町を歩くと、このうなぎ屋さんの匂いが町中に漂い、私たちもまち歩きどころじゃありませんでした(笑)



中川屋さん、超おすすめです!感動しました!
今まで食べたうなぎの中で、私の中ではNO.1!

一度蒸してから焼く関東風ですが、ふっくらタイプではなく、じっくり焼き上げて、なんとも香ばしい!
うなぎの臭みが全くなく、今までふっくらとしたものしか食べたことがなかったので、軽くカルチャーショック(笑)くらい美味しかったなぁ。

ちょっと遠いですが、暖かくなったら伊豆石を見つつ、うなぎを食べによかったら足を運んでみては?

 

文:酒井

2019年03月06日

Post by 株式会社 macs

カテゴリー:ビオブログ, 地域のこと

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