- 2011.08.29 月曜日
- 先週、マクスが加盟する町の工務店ネットの勉強会で仙台に行ってきました。
仙台で開催されたのは、被災地の現状を、自身の生の目に焼き付ける、そんな意味がありました。
最初にお邪魔したのは、現地で復旧・支援ボランティア活動に尽力された、仙台の工務店建築工房零(ゼロ)さんのボランティア活動基地。
真ん中で話をされているのが零の小野社長さん。
このテントに泊まり込んだ全国のボランティアの方々が、泥出しやゴミ出し、仮設風呂造りに奮闘され、また現在も住宅の復旧活動に行かれます。
当時は凍えるほど寒く、今はかなりの暑さ、
大量発生した蠅や雨漏り、劣悪なトイレ環境の中、活動を続けてている事を思うと、仮設風呂作りのために義捐金を送らせていただいたとはいえ、行こう行こうと思いながらも見学という形で初めて現地を訪れ、体を動かして何も貢献していないことが、何だか非常に恥ずかしく感じるのでした。
石巻市の被災地に移動する車中は、テレビで見た風景であるのにもかかわらず、自身の目で見てみると、「信じられない光景」としか言いようのない風景。
いつものように写真に納めて…
そんなことも出来ませんでした。
地震から半年近くが経ち、大量のがれきはかなり片づけられているようでした(まとめて集められているだけでその後どうするかは大問題)が、そうなると何とも言えない違和感が私の心に浮かびました。
サッシというサッシは流されてしまい、泥だらけで、傷だらけになりながらも、何とか建っている家々が続きます。
建具がないので道路からは家の中は丸見えで、あらゆる家具は捨てられ、がらんどうの家の中。
「何故あの家々は、一軒も直し始めている家がないんだろう…」
でも考えれば当たり前です。
・ほとんどの家は多分直しても住めず、
・直すには建て替えに近いお金がかかり、
・そんなお金はすぐに工面出来ないし、
・そもそも仕事を請け負う大工・工務店が無い
・何よりまたいつ津波が来るかも知れないし、
・今後この地区をどうして行くか、その方向性がない現在、どうするか決めようがない
のでした。
波の影響が大きかったところでは、ほとんどの家は土台ごと流され、ひび割れたコンクリートのみ。
かろうじて家の原形をとどめている家も、
信じられない壊れ方をしています。
屋根まで津波が来たことも分かります。
そして象徴的なのは、
この壊れた老人ホーム。
隣は海ではなく、元々駐車場だったところが地盤沈下して海水が流れ込み、今は魚がはねているのです。
一枚前の写真の住宅の住人の方にお話を聞くことが出来ましたが、満潮時には家の前の道路が冠水して、来ることも出来ないそうです。
「地震後、ようやく家に戻ったら、家の中と外の側溝に、知らない人が死んで流れ着いてるんだよ…」
頑張って下さいとも言えない。
お話しを有り難うございました、としか言えませんでした。
言葉を無くしてしまいますが、冒頭の小野社長のお話しでは、当初に比べれば、「感動するほどキレイに片付いてきた」のだそうです。
勉強会場でもお話をお聞きしましたが、一番強く思ったことは、
「もし、東海地震が起こったら」
「もし富士山が噴火したら」
「もし何もかもがダメになったとき、自分に、会社に、何かが出来るのだろうか?」
ということ。
福島の丸ウ吉田工務店さんの吉田社長さんにもお話もお聴きしましたが、酷い被害を受けながらも、何とか前を向いて行こうとする宮城県に対し、福島は一体これからどうすれば良いんだ、何かそんなどうしようもない悩みと申しましょうか、脱力感と申しましょうか、原発事故は、とんでもないダメージを与えてしまったのだと、改めて感じます。
吉田社長が仰っていた
「正直に言って、あの地震まで、原発だ、オール電化だなんて深く考えていなかった」
その言葉が心に残りました。
そう、私たちも、地震や噴火が起きてから、まさかこんなふうになろうとは…
と言っても遅いのですね。
今、出来ることは何でしょう…?
今、やらなければいけないことは何でしょう…?
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Comments
世界中で実際に起きているM9の地震と、過去にもあった津波の記録、そんな「想定外?」な出来事による今回の震災は、もう何ともコメントしがたいものでした。
私たちに今できるのは、最悪に備えて最善を尽くす、それしかないですね。
被災地の住民の方が仰ってました。
「いついつまでにあっちに移って下さい、いつまでに出て行って下さい、役所は結局そんなことしか言ってくれなかった。」
役所自体も麻痺しかけたので、第三者の私に一方的に批判は出来ませんが、あの規模の地震が有れば、自身の力で何とか生き抜く事が、否応なく要求されることだけは事実ですね。