- 2008.02.06 水曜日
- 昨日に引き続き、和歌山出張で見てきた紀州の森について書きたいと思います。
本日は、森を守る、と言う観点から考えてみたいと思います。
本日も長文です。すみません。
写真は、昨日に引き続き、山長商店さんの森です。
この写真を見ると、部分的にいわゆる禿げた部分があるのがお分かりでしょうか?
この様な部分ですね。
これは、以前伐採された部分です。
もっとアップしてみると、伐採後、また新しい苗が植えられているのが分かりります(緑色に横一列に見えるのがそうです)。
伐採は、非常に重労働になります。
それが斜面ならなおさらです。
この様に、ワイヤーを張り、機械で巻き上げるのですが、言うほど簡単なものではありません。
遠くにあると細い木の様に見えますが、近くまで引き上げられると結構太くて大きな木であることが分かりますね。
この様に、伐採は大変な作業です。
木材は、植林してから、こうして伐採されるまで、40年〜80年、もちろん長いものは100年以上かかるわけです。
その後、伐採→集積され、皮むき→製材(寸法に切る)→乾燥→製材(寸法に削る)され、ようやく製品として流通します。
(もちろん、こちらもそれほど簡単な話ではありません、それはまた明日)
ところが、日本の林業は、いま、非常に大変な、危機的状況下にある事を、日本人は知らなければいけないと思います。
戦後、焼け野原だった日本は、大量の木材を必要としました。
植林事業も国家的な事業として行われましたが、日本国内では足りず、外国から米松・パイン材・ホワイトウッドをはじめ、大量の木材が輸入されました。
そして現在、コスト削減という大命題のもと、日本の材木が、十分な供給力を持ったにもかかわらず、未だ国産材は利用されないままです。
人件費が上がり、機械代が上がり、燃料費が上がり、採算性が落ち、林業の魅力が下がり、労働力としての人材が不足し…そんな連鎖が日本全国で続いています。
今、日本の代表林である、杉・桧林を伐採しても、1ヘクタール(100m×100m)で、杉で50〜100万、桧で100〜150万程度の利益しか出ない、と言われています。
どう思われますか?
それだけ利益が得られれば結構良いじゃん、て思います?
でも、伐採してそれで終わりなら良いんです。
林業として循環させるためには、また苗木を植えなければなりません。
日本では、カナダや北欧の森林樹林帯と違って、自然状態では、杉や桧が卓越林となって自然に林や森になると言う事はありません。
これが、林業資源としての天然林の在り方の海外との大きな違いです。
私は、豊富な落葉広葉樹が残る日本の天然林を伐採して行くことには反対です。
これらは貴重な自然の宝庫だからです。
しかし、古来、薪や炭を作るために作られた雑木林や、建築用材としての二次林(植林されて管理されている林)は、全て手をかけなければ衰退します。
話しを戻しますと、先程出た利益ですが、再び苗を植えようとすると、120万程度の費用がかかるそうです。
つまり、現在、永続的に林業を行って行こうとすると、赤字経営を強いられると言う現状にあるのです。
一部には、自然に放置し、森の遷移に任せるべき、それが自然の在り方、と言う意見もあるようですが、自然林と林業とは、本来別のものであるはずです。
木を利用してきた日本、またこれからも木を利用して行く日本にとって、南アジアや南米やアフリカの森林資源を破壊・砂漠化させてまで木を利用してはいけないわけで、やはり日本の森林を守り、造り育てて行かなければいけないと思うのです。
しかし、日本の林の現状は、上記の様にとても安定経営からはほど遠く、結果、本来必要な、枝打ち・下草刈り・適期伐採が行われず、放置され、荒れて行ってしまっています。
林業は、木が使われてこそ成り立ちます。
上の写真の様に、木が切り倒されている写真を見ると、イコール自然破壊、と考えるのは間違いです。
伐採・利用→再び苗を植えて林を育てる、
これが大事なのです。
実際、温暖化防止・二酸化炭素削減という意味でも、若い成長盛りの木は、大量の二酸化炭素をエネルギーとして吸収します(二酸化炭素の固定)。
でも、成長して大きくなると、二酸化炭素の固定はぐんと減ります。
和歌山には、世界遺産に登録された熊野古道があるのが有名です。
これはその入り口ですが、熊野古道とは、紀伊半島南部にあたる熊野の地と伊勢や大阪・和歌山、高野及び吉野とを結ぶ古い街道の総称です。
この道周辺には、林業家の私有林も当然あり、それらは、森を守るためにはしっかり手を入れて行かなければなりません。
それを、「世界遺産の周りの木を切るとは何事だ!」
と言う意見があるようですが、手を入れなければ森は守れないんです。
そして、林業があったからこそ、この車も通らない道が守られてきた(古来より、林業家が痛んだ道に手をかけてきた)と言う側面も分かってあげなければいけないのではないでしょうか?
ちょっと話が逸れてしまいました。元に戻します。
本来、下の写真の様に、良く手が行き届いた林の木は、枝が無く、まっすぐのび、上の方にだけ葉があります。
この栄養を作り出す成長のための枝を栄養枝(えいようし)と言います。
これはもちろん枝打ちの産物でも有るのですが、木が弱っていると、枝打ちをしてもまた下の方に枝が生えてきます。
(写真左側の方の木の左側面に、細い枝がいっぱい出ています)
これを、崩芽枝(ぼうかし)と言うそうです。
山長さんの様な行き届いた林でも、こういう木が見られます。
案内して頂いた林業部長の松本さんは、
「木が悲鳴を上げている」
と辛そうに話してくれました。
弱った木は、子孫を残そうと、大量の花粉を出します。
国民病と言われる花粉症も、実は林業の衰退と密接な関係があるわけです。
国土の三分の二が森林という日本。
林を守って行くため、外材依存をやめ、国産材をしっかり利用して行く、それが大事なんだと改めて思いました。
(その意味でも、1/24に書いた、ミニストップの「木づかい運動」、良いと思います)
林が育てば、空気が守られ、水が守られ、海が守られます。
↑林を流れる川の水、美味しかったです!
長文を読んで頂き有り難うございました。 - 桧の家 住宅のお話し | comments (1) | trackbacks (0)
Comments
その守られた海が、魚を育んでくれ、自分の腕を、振るわせてくれます。
森を大切にする努力に、頭が下がる思いです。
ところで、この”森の巻”、まだ続くのですか?